2015/07/25

解らない事だらけ

ただただ思うところを綴る。


※思考垂れ流しにつき注意※


『戦後70年を節目に~』ってあれこれ話題になっています。
日本企業の強制労働についての賠償とか。
談話作成にちなんだ各国からのあれやこれ。
防衛白書に対するあれやこれ。
とにかく多いです。

まず最初に言いたい。
戦後70年って、言う程の節目ですかね。
50年100年は大きな節目でしょうけど。
いっそ75年の方がキリがいいのでは?
人が生まれて死ぬまでが約70年って意味での節目なんですかね。

ともあれ、企業に対して70年も経ってから賠償請求する意味がわからない。
何故今なんでしょう?
日本は東京裁判で、国としての賠償は一括で済ませたわけです。
が、未だにあれこれ言ってくる国がある。
じゃぁ、あの裁判やらはなんだったのかってなっちゃいません?
意味あったの?
意味もなく裁かれたの?
命ごと持っていかれた人もいたのに?
企業に対してだって、もっと早くにするべきことだったんじゃないの?

――と、まぁ、わからないことだらけです。

戦時戦後、捕虜になって強制労働させられた事に対して、今でも賠償してもらえるの?
ドイツは個別賠償しますって体だから分からなくもないけど。
個人の感覚としては、『戦争だったから、それら含めて仕方のなかったこと』なのです。
私は、過ぎた事を時間が経ってから言うのは、良くないと言われて育ちました。
喧嘩して、後からああだったこうだったと言うと、みっともないって怒られます。
『まだ根に持っているのか、情けない』と。
人を許せるだけの器量もないのかって、結構きつく怒られてきました。
その所為か、ああいうニュース見ても、外の人達の考え方がいまいち理解できない。
『何故?』で頭の中がいっぱいになっちゃう。

結論:『外の国はそういうもの』

これで、いいのかな?
個人の権利を主張するっていうのは、あまり日本人に馴染みがない感じ。
最近は少し増えた気がするけど、やってる人を見ても共感できないでいる。
『自分が良ければいいの?』って思っちゃう。
『じゃぁ皆もやれば?』って言われても、なんかそれも『違くない?』って思う。
だって、キリがないよね。

日本人の価値観が外の国と大きく違うというのはよく聞く話。
日本人の常識は世界の非常識だってね。
それでも、多くの国に比べれば豊かで平和な国だったりする。
だから、今の価値観で何がいけないのか解らない。
他の国に合わせなきゃいけない理由が見つからない。
でも、外の国からはあれは駄目だこれは駄目だって言われてる。
特にここ最近多い。

外の国々は日本をどうしたいんですかね?
日本人が海外の価値観でしか物を見なくなったら、ここは多分日本じゃなくなる。
長い年月をかけて作ってきた物をみんな壊して、得られるものは何?


笑顔で銃火器突きつけられて『仲良くしよう』と言われてから、早160年。
……って、それは言い過ぎか。(笑)
まぁ兎も角、開国してからこっち、ずっと目標は一緒な気がします。
自分達の居場所を守り、且つ、世界に対等な存在だと認めさせること。
この国は、ずっとその為だけにあれこれやってる気がする。

不平等条約撤回させる為に、せっせと近代化したり。
それでも駄目で、欧米諸国を遠ざけるべく周りの国々を手中に収めてみたり。
でも、そうこうしてたら石油止められちゃって、長々と喧嘩してみたり。
気が付いたら更地にされちゃって。
それでも死に物狂いで復興して。
20年も経たない内にオリンピックができるぐらいにしてみたりもした。

それでもね、相変わらず微かに残る人として扱えてもらえてない感。
いつだって欧米から、あーだこーだと言われて見下されてる。
いい加減疲れちゃうよね。
そんなに向こうの『当たり前』は優れているんだろうか……。
外の国と同じようにしたら、今以上に犯罪のない、裕福で健やかな国になれますか?
今の私の視点からでは、とてもそのようには思えません。

開国する前は、300年近く平穏無事な泰平の世を紡いできていたんですよね。
これでも。
なのに、世界史に名前が出る頃には戦ってばっかりで。
他の国からすれば、やっぱり帝国主義のイメージが強いんだろうなぁ。
日本人からすると、帝国主義なんてほんの一瞬だったけど。(80年ぐらい?)
一部の地域では、未だに日本が帝国主義だと信じて疑わないところもあるし。

価値観や文化の違いって、本当に高い壁なんだなぁって思う。

それをそのままそういう物だと受け入れるのが、日本人らしいところだなぁと。
日本で外国の人が、日本人の『普通』から外れたことをしたとする。
それを見て、日本人は『外国人だから仕方ない』って思っちゃう。
他所の国ではそれが『普通』なのだろうと、受け入れちゃうから。
でも、日本で暮らす外国の人は、それを差別的だというんだよね。
みんなと同じように扱ってくれないって。
その話を聞いた時、『貴方がそれを言いますか』って思っちゃったよ。
同じ事なんだけどなぁ……。

壁が高すぎて、160年経っても未だに壁の向こう側が見えない感じです。
向こう側どころか、頂辺さえ見えていない気がする。
外とのお付き合いっていうのは、難儀なことですな。
日本は孤立するとかよく言われてるけど、最初から孤立してるよね。
味方なんて、いたことあったっけ?
取り囲まれて突っつかれてるだけだった気がするのは、気の所為なのかな。



なーんてことをね、今日一日ぼんやりと考えて過ごしてみた次第。
休日の無駄使いですねー。
外が不安定な天気過ぎて、出る気になれなかったから仕方ない。
明日からまた仕事なので、もう寝ます。
おやすみなさーい。

2015/07/21

最近やっていること

ムシムシとした息苦しく暑い日々が続いておりますが、お変わりありませんか?
私はしっかり体調を崩し、昨日は頭痛が引かず、うっかりおゲボするところでした。
どうも、こんばんは。

さて、振り返り記事は一時中断して、近況報告です。

先日より、英語のお勉強は中学二年生になりました。
今は過去形の復讐じゃなくて、復習中です。
そろそろ解らなくなりそうな予感です。
頑張りますけど、頑張りますけどね!!
うー。

手芸の方は、最近ビーズ編んだりしています。


ビーズで国旗作ってみたりしています。
レジン細工のアクセントにと思って作り出したんです。
なんか国をイメージしたアクセでも作ろうかなぁと思いまして。
で、試行錯誤しながら手探りで編み編みしています。

作業していると、凄まじく時間が過ぎていたりします。
これは15×15粒なので、結構小さいのですが、不器用なもので。
作業のほとんどが、ほつれた糸を解くことに費やされています。
気が付いたら3時間ぐらい平気で経っていたりするのです。

因みに、かれこれ5~6個は編んでは解きをしています。
計画なしに作るからねぇ。
毎度のことですけれど。
思い立ったらすぐ作業始めちゃうので、やり直し込みが基本です。

偏ってるのは、そもそも赤・白・青のビーズしか持ってなかったから。
試作で、日・米・英・仏を作っていたのですよ。
でも、最近は独関連の書籍を読んでいたので、作りたくなり、黒・黄を追加購入。
独作るなら、伊も作りたいと思い、緑も追加。
思えば、赤・白・青・黄・緑・黒で大抵の国旗が作れるんですよね。

ばんばん作るぞーと思って、留め金具を買いに行ったのですが、在庫切れ。
なので、仏だけ色違います。
通販でお取り寄せしましょうかね。


そうそう、近所の向日葵畑を見てきましたよ。


夕方に見に行ったので、逆光が凄い。
ひまわりって、本当にお日様の登る方を見ているんですね。
チューリップよりは少ないんですが、結構沢山植わっているのですよ。


春はチューリップ、夏は向日葵、秋は秋桜とあるようです。
秋も、見に行けるかなぁ。

あ…、また頭痛くなってきたので、寝ます。
おやすみなさい。

2015/07/13

神社巡りと散策:香取~佐原

先月の23日、御朱印巡りのため、香取~佐原に行ってきました。
神社さんへの予約もばっちり。

香取神宮の摂社:側高神社
 ↓
下総一宮:香取神宮
 ↓
佐原散策

という感じの行程で回ってきました。




側高神社さんは山の中にあってとっても静かなところでした。
鳥の囀りと、遠く飛行機の音だけ。
今の時期は若鶯が一生懸命鳴く練習してるのが微笑ましいです。

ご神祭は天神様と他三柱。
あの童歌、思い出しますよねぇ。
でも、帰りも決して怖くはなかったですよ。
とても立派な杉の御神木がありました。
あと、地面に埋まった四箇の瓶(字が出ない;)がありました。
四季の瓶とも言うらしく、それぞれに入っている水の量で各四季の雨量を占うとか。
面白いですよね、こう言うの。


次に向かったのは香取神宮。
以前も行きましたねぇ。
今回は、御朱印巡り専用帳にいただくべく行ってきた次第。


奥まで行くのは、長くゆるい坂を登らなければいけないので、大変です。
でも、登りきれば、立派な佇まいの拝殿が見れるのです。
この時は六月末だったので、夏越の祓えやっていました。
いつもは地元でやっていますが、折角なのでやってきましたよ。
この夏も、これ以上患ったりしませんように。
帰り際、参道の木漏れ日にはしゃぐ外国人のお嬢さん方と出くわしました。
くるくる回ってみたりしながら、あの坂を上がって行ってましたねぇ。
若いっていいね。
私はゆっくり歩いてたのに、着く頃には動悸息切れが半端なかったです。(苦笑)


 

で、帰りに仲見世で色々食べました。
紫芋コロッケですよ♪
その場で揚げてもらって、熱々ホクホクでした。
もう一個は、紫芋ソフトです。
こっちもほっこりする味で、美味しかったです。
この写真、朝から妹に食べながら送りまして。
朝活乙って言われました。(苦笑)


お腹も満たされたので、そのままお隣の佐原へ行ってみることにしました。
車で傍を通ったことは何度かあるんですが、車停めれる所が分からずいつも素通り。
今回はちゃんと下調べしてから行きました。


佐原といえば、この街並みですよね。
水郷佐原ですもんね。
そして、佐原といえば、忘れてはいけない伊能忠敬先生ですよ。
日本で初めて実測による全国地図を作った人。
そんなわけで、行ってきました『伊能忠敬記念館』。


左奥のが記念館です。
緯度経度が少しずれているだけで、ほぼ今使ってる地図と同じなんですよね。
展示されている地図を見て、本当にびっくりしました。
後は、測量機器とかの展示もあったり。
そして何より、凄い商才の持ち主だったことにびっくりでした。
婿養子に入った傾き気味の商家で、資産を32年で20倍にしたとか……。
それだけでも凄いのに、地図まで作ったなんてね。



で、川向の伊能忠敬旧宅も見学してきました。
店舗部分が倉庫を改装したものらしく、隣の部屋とか不思議な作りになっちゃってたり。
家の周りにも水が巡っていて、さすが佐原って感じでした。


奥に先生の像がありましたよ。
お年を召してから測量して歩いたなんて、本当に信じられない
商売の合間に勉学に励んで、隠居してから江戸で本格的な勉強初めて。
55歳から測量始めるんだもん。
今の世でも、出来る人はそういないと思う。



橋からお水がだばーしてるところも見れました。
江戸時代の頃から農業用水を送り続けた名残だそうで。
突然がこんって音がしたかと思ったら、だばーって凄い音がして、吃驚しました。
何事かと。

山車会館も見に行ってきました。
山車の生き人形が、マジリアルなのですよ。
そして、日本武尊がかなりのイケメン!!
実物は胸から上だけで、自分よりも大きいんです。
夏と秋にお祭りがあるそうで、きっと見事でしょうねぇ。
いつか見に行きたいところです。


そのあと、お店を見て歩いたり、古い建物写真撮ってみたり。


で、買ったのがこちら。
曲輪弁当箱と鬼灯柄の小風呂敷。
おにぎり入れるカゴ弁当箱と散々悩んだ挙句、こっちにしました。
もう何度かお弁当入れて持っていってますが、より美味しく感じるのですよ。
仄かに木の香りがして。
小風呂敷にお弁当包んで持っていってます。
職場の人達にちょっと吃驚されましたけどね。


なかなか充実した一日だったのです。
佐原は、またゆっくり見に行きたいなぁと思います。

2015/07/09

歴博:ドイツと日本を結ぶもの-日独修好150年の歴史-

すっかり七夕も過ぎ、なんだか安定の月一更新となってきていています。
新年の抱負とはなんだったのかという今日この頃……こんばんは。

今日は休みだったので、歴博の特別展示を見てきました。
今回は、7月7日からやっている『ドイツと日本を結ぶもの-日独修好150年の歴史-』です。
もうね、看板告知の時から気になってた。
これは行くしかない。と。



10時頃から行ったんですが、ミュージアムショップ見たら欲しいモノができまして。
コンビニでお金おろしましたよね。うん。
高い買い物する気満々なのです。うふふ。
結局のところ、丸一日企画展を見て回ることに費やしました。
全部読んでたら、全然足りないのですよ。
因みに、上の写真、途中に休憩挟んだ時に撮ったものです。
この時点で半分も見れてなかった。

もうね、激アツ。
見る物沢山なのですよ。
資料が兎に角盛り沢山。
以前ドイツでやった展示の日本版だそうで。
結構賑わっていましたよ。
外国の方も見に来ていたりして、結構感慨深かったです。

日本とドイツ。
近かったり、遠かったりする国っていうイメージです。
でも、色々たくさん教わったなぁと。
つい最近まで、カルテもドイツ語で書かれていたしね。
その割には、一般的にドイツ語って馴染みがなかったりする不思議。
憲法作るときも、参考にさせてもらったのにね。
喧嘩したり、同盟組んだり。
プロイセン時代からのお付き合いですよ。
結構長いですよねぇ。

まぁ、その程度の知識で見に行ったんです。

本当に色々あったんですね。
条約締結に際してのプロイセン側の思惑とか。
でも、こっちの意向に配慮して、単独締結に応じてくれたりしたんですねぇ。

文書の交換も多々あったようで、ドイツの文書がすごく綺麗。
色がついていたり、飾り文字だったり。
対して日本からのは、和紙に毛筆で書くオランダ語。
すごく書きにくそうでした。(笑)
家茂からプロイセン国王宛に出した日本語の書簡は綺麗でしたよ。
金屏風みたいな紙に書いてあって。
この頃の文書は、カタカナとかも入っていて、普通に読みやすかったです。

横浜の絵や写真も展示されていたんですけど、ちょっと吃驚だった。
何が吃驚って、船の数。
港の周りに停泊する船の数が半端ない。
船、船、船船船船……。
流石にこれは、当時の人達にとっては怖かったろうなぁ。
そりゃぁ開市拒否りたくもなるよ。

他の欧米諸国に対するそれと違って、人より技術に目が向いていたのは興味深かった。
本当に学ぶことが多い国としてみていたんだなぁと思いました。
哲学・法律・医学以外にも、制度的なことも色々参考にしたみたいですね。
戦術とかも参考にしていたみたいだし。

そりゃぁ、喧嘩の時は裏切り者とか、盗人だとか言われるわな。

WW1の時4700人の捕虜を収容したけど、そもそも収容所がなかったらしい。
各地の寺院やら公会堂、学校なんかで代用していたみたいだけど。
流石に戦争が長引きすぎたから施設を作ったみたいですけどね。
とは言え、一つ処ろに集められてはいたけど、なんか思っていたのと違った。
映画とかで見る収容所って、過酷な労働に、食べるものも食べられないイメージだった。
遠足とか、演奏会とか、本を作ったり、作品展覧会開いたり……。
クリスマスも、復活祭もちゃんとやっていたみたいだし。
家族の元に4年半も帰れないのは、やっぱり辛かっただろうけどね。

そんなんで、よく日独伊同盟とか組めたなぁとは思ってた。

よくよく読んでみれば、まぁお互い利用し合う感じだったんですね。
まぁ、そうですよね。
そもそも戦線がかぶることも基本なかったみたいですし。
プロパガンダ的な意味合いしかない関係ではあったのかなぁと。
お互い勝手にそれぞれの喧嘩始めちゃったしね。

最後の最後に各国の150周年記念の議会文書がありました。
日本のは、一ページの挨拶状的な感じなのに対し、ドイツのは長い。
細かく項目分けして書いてありましたね。
なんというか、お国柄が出ているなぁと思いました。

WW2の償い方についても触れられていまして。
軍事裁判を受け入れず、無期限個別賠償をしているドイツ。
軍事裁判を受け入れて、国家間の賠償を一括で行った日本。
昨今では近隣諸国にドイツを見習えなんて言われていますけど、どうなんだろう。
東京裁判…結構大変な出来事だったんですけどね。
比較するなとは言わないけど、優劣をつけるのは違うと思うのです。

でも、近隣諸国以外もあれこれ言ってきているんですよね。
とは言え、東京裁判を肯定しないと連合国としては面目が立たないわけで。
立場が違う以上、色々と噛み合わない部分もある。
そこも考慮してもらえたらいいのになぁとは思いました。

すったもんだはあったけど、この先も細く長く繋がっていけたらいいなぁと思いました。
せめて平和な時だけでもね。


最後に買ってきたお土産紹介。


企画展示本(¥1852+税)
資料写真を沢山掲載し、解説も細かく入っています。
展示では省略された部分もあって、それも補完されています。



『日独交流史編集委員会編 日独交流150年の軌跡 (雄松堂書店)』(¥3800+税)
これが欲しかったためにお金おろしに行きました。
企画本よりも更に多くの資料写真が掲載されています。
もちろん重複している資料の方が多いんですけどね。
歴史モノは、何事においても一冊だけを信じないことにしているので。



ドイツの信号機に使われている人型デザインを使ったアイテムが色々あったので一つ。
こちらは、東西統一25周年を記念したトートバッグです。
可愛いデザインだったので、買ってしまいました。
思えば、自分が子供の頃、TVでベルリンの壁を力強く打ち破っている姿を見たものです。
もう25年も前のことになるんですね。
時が過ぎるのは、なんとも早いものです。


ということで、久しぶりの更新でした。
この記事、書き始めたの夜中の2時半頃でしたが、現在朝6時です。
寝ようと思ったのですが、あまりに思うことが多くて寝付けず…。
結局完徹してしまいましたね。
今日、仕事中に寝てしまわないように気をつけます。

なんだかんだで写真も溜まってきたので、そろそろまとめてアップしようと思います。